絵葉書フロムアフリカ27(最終) Cape of Good Hope, South Africa
2011/07/19 Tue 17:25
喜望峰の観光案内所に絵葉書が売っており、しかもポストがありましたので、そこから日本に送ってみました。
アフリカから送る最後の絵葉書です。
エジプトから南アフリカまで計27枚の絵葉書を送りました。
その中で届かなかった物はありませんでした。ただ、折り目がついてしまったりと乱暴には扱われます(私的には味がでて歓迎です)。
喜望峰全景です。
アフリカから送る最後の絵葉書です。
エジプトから南アフリカまで計27枚の絵葉書を送りました。
その中で届かなかった物はありませんでした。ただ、折り目がついてしまったりと乱暴には扱われます(私的には味がでて歓迎です)。
喜望峰全景です。
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喜望峰
2011/07/13 Wed 17:42
Jonathan Butler
2011/06/14 Tue 22:23
ケープタウン、ウォーターフロントにあるジャズクラブThe Green Dolphin Jazz Restaurantにジョナサン・バトラーが出演していたので、見にいってみました。
http://green-dolphin.co.za/
ジョナサン・バトラーはケープタウン出身でアメリカ進出したミュージシャンです。
グリーン・ドルフィン・ジャズレストランは日本で言えばブルーノート東京の様な感じで、美味しい料理を出すジャズクラブでした。地元の大物ミュージシャンという事で、大入り満員、大盛り上がりでした。
ジョナサン・バトラーはジョージ・ベンソンの様な歌えるジャズギタリストです。ジャズというよりブラコンという印象でした。良いパフォーマンスでしたが、自分としてはもっと泥臭い感じが好みかなと。
南アフリカのジャズミュージシャンではヒュー・マサケラ(Hugh Masekela)が見たかったです。この人は南アフリカでは先駆者として神様扱いの様です。
1968年グラミー賞受賞のソウルジャズです。おおらかで田舎風な感じが良いです。
脱線しますが、これに歌をつけたソウル・グループFriends Of Distinctionの映像をYouTubeで発見。この方達はアメリカ人です。
ジョナサン・バトラーのCD。今となっては懐かしいブラコンジャズです。
左はヒュー・マサケラも出演しているアパルトヘイトのドキュメンタリー映画。
ケープタウンにはアフリカ全土の大金持ち(独裁者も含む)の豪邸もある様で、かなり洗練された印象の町です。
日本人にとっては物価は安いので不思議な感覚です。
http://green-dolphin.co.za/
ジョナサン・バトラーはケープタウン出身でアメリカ進出したミュージシャンです。
グリーン・ドルフィン・ジャズレストランは日本で言えばブルーノート東京の様な感じで、美味しい料理を出すジャズクラブでした。地元の大物ミュージシャンという事で、大入り満員、大盛り上がりでした。
ジョナサン・バトラーはジョージ・ベンソンの様な歌えるジャズギタリストです。ジャズというよりブラコンという印象でした。良いパフォーマンスでしたが、自分としてはもっと泥臭い感じが好みかなと。
南アフリカのジャズミュージシャンではヒュー・マサケラ(Hugh Masekela)が見たかったです。この人は南アフリカでは先駆者として神様扱いの様です。
1968年グラミー賞受賞のソウルジャズです。おおらかで田舎風な感じが良いです。
脱線しますが、これに歌をつけたソウル・グループFriends Of Distinctionの映像をYouTubeで発見。この方達はアメリカ人です。
ジョナサン・バトラーのCD。今となっては懐かしいブラコンジャズです。
左はヒュー・マサケラも出演しているアパルトヘイトのドキュメンタリー映画。
ケープタウンにはアフリカ全土の大金持ち(独裁者も含む)の豪邸もある様で、かなり洗練された印象の町です。
日本人にとっては物価は安いので不思議な感覚です。
ボルダーズ・ビーチ
2011/06/05 Sun 01:38
ペンギンのいるボルダーズ・ビーチ(Boulders Beach)に行きました。
野生のペンギンと一緒に泳げるのはなかなか貴重な体験ではないでしょうか。
ペンギンはアフリカン・ペンギン(鳴き声がロバに似てるのでジャッカス・ペンギンとも)でやや小ぶりです。
ビーチは自然公園として管理されており、入場料15Rを払って入場します。
期待通り、ペンギンがうじゃうじゃおります。
微妙な水際がお好みの様です。
もう少し寄ってみます。
寄っても逃げません。
なぜか眼を合わせてくれません。無視されます。
そっぽを向きます。
下から見てみます。
毛はトゲ状で固そうです。
ここのペンギンは人間を怖がりませんが、馴れ馴れしくはならないという絶妙な関係を保っている様です。
餌付けされてしまうと野生から離れてしまうので良い関係ではないでしょうか。人間はただ観察するだけです。
次回は喜望峰に向かいます。
野生のペンギンと一緒に泳げるのはなかなか貴重な体験ではないでしょうか。
ペンギンはアフリカン・ペンギン(鳴き声がロバに似てるのでジャッカス・ペンギンとも)でやや小ぶりです。
ビーチは自然公園として管理されており、入場料15Rを払って入場します。
期待通り、ペンギンがうじゃうじゃおります。
微妙な水際がお好みの様です。
もう少し寄ってみます。
寄っても逃げません。
なぜか眼を合わせてくれません。無視されます。
そっぽを向きます。
下から見てみます。
毛はトゲ状で固そうです。
ここのペンギンは人間を怖がりませんが、馴れ馴れしくはならないという絶妙な関係を保っている様です。
餌付けされてしまうと野生から離れてしまうので良い関係ではないでしょうか。人間はただ観察するだけです。
次回は喜望峰に向かいます。
絵葉書フロムアフリカ26 Cape Town, South Africa
2011/05/10 Tue 01:30
テーブルマウンテン
2011/05/09 Mon 23:45
ケープタウンのシンボル的な山、テーブルマウンテンに登りました。
海抜1087m、岩盤でできた断崖絶壁の山で、頂上はテーブルの様に平らな草原になっています。
登頂途中の風景。登頂するにはロープウェーもありますが、霧や雲がかかると止まってしまいます。この日も霧がかっていたので、自力登頂でした。海沿いの断崖のために霧がかかりやすい様です。
頂上の草原(岩場)は晴れていました。不思議な野生植物が生えている様です。
気持ちの良い見晴らしです。
テーブルマウンテンの全景は絵葉書を購入しました。
ウォーターフロントからのテーブルマウンテン。
裏書き:VICTORIA and ALFRED WATERFRONT Cape Town
PHOTO:L.VON HORSTEN
こちらは霧がかかっているテーブルマウンテンとウォーターフロントの夜景。
裏書き:VICTORIA and ALFRED WATERFRONT Cape Town
PHOTO:JOHN HONE
テーブルマウンテンは登って良し、眺めて良しの優良山ですね。
海抜1087m、岩盤でできた断崖絶壁の山で、頂上はテーブルの様に平らな草原になっています。
登頂途中の風景。登頂するにはロープウェーもありますが、霧や雲がかかると止まってしまいます。この日も霧がかっていたので、自力登頂でした。海沿いの断崖のために霧がかかりやすい様です。
頂上の草原(岩場)は晴れていました。不思議な野生植物が生えている様です。
気持ちの良い見晴らしです。
テーブルマウンテンの全景は絵葉書を購入しました。
ウォーターフロントからのテーブルマウンテン。
裏書き:VICTORIA and ALFRED WATERFRONT Cape Town
PHOTO:L.VON HORSTEN
こちらは霧がかかっているテーブルマウンテンとウォーターフロントの夜景。
裏書き:VICTORIA and ALFRED WATERFRONT Cape Town
PHOTO:JOHN HONE
テーブルマウンテンは登って良し、眺めて良しの優良山ですね。
ケープタウン
2011/04/19 Tue 23:07
ケープタウンの地図です。
ヨハネスブルグ12:30発ケープタウン行きの列車に乗りました。3等を165Rで買いましたが、途中で追加料金95Rを払って2等に変更しました。ヨハネスブルグからケープタウンまで、私の席付近の乗客は入れ替わり立ち代わりでした。最初は英語の話せない白人アフリカーンスの人達で、彼らが降りた後はインド系南ア人が乗ってきました。この人もケープタウンに行くとの事で、一緒に行動する事にしました。列車は翌日の14:15にケープタウンの駅に到着、25時間程の乗車でした。
私は中心地区のロングストリート付近にある宿に行こうと予定していましたが、彼がウォーターフロントに近い宿の方が良いというので、そちらに行く事にしました。宿はBig Blue Backpackerでドミトリー35Rでした。http://www.bigblue.za.net/
ケープタウンは印象的な形の山に囲まれた非常に美しい港街です。
ヨーロッパの街並みとなんら変わる所がないので、ここではアフリカ的な泥臭さはほとんど無くなってしまいます。物価はそれ程高くはないので、居心地はかなり良いと思います。清潔に旅をしたい旅行者にとっては穴場かもしれません。
ケープタウンではやたらとウォーターフロントにある映画館に行っていました。この時期映画週間か何かの特別企画だったのかもしれませんが、入場料が12R~20R(日本円で214~357円)と格安でした。今までの旅行ではテレビや映画とはご無沙汰だったのでついハマってしまいました。
見た映画は
2/1
Run Lola Run
Crazy in Alabama
2/3
No Skin Off My Ass
Blessed are those who thirst←謎の映画
2/4
Flawless
2/5
Life is beautiful
2/6
Celebration←謎の映画
大きな地図で見る
ウォーターフロントからテーブルマウンテン方面を見る(グーグルストリートビュー)
絵葉書フロムアフリカ25 Johannesburg South Africa
2011/04/12 Tue 23:11
Tshepo Tshola
2011/03/07 Mon 20:07
宿があるYeoville地区はのどかな感じで、目抜き通りのRocky Stなどは危ない感じはしませんでした。
ただ、この辺にいても退屈なので、中心街のライブハウスを覗いてみる事にしました。
この日は駅近くのマーケットシアターにあるkippies's BarでTshepo Tshola という人のライブがやっていました。大物ベテランらしく、大入り満員でした。Tshepo Tsholaはかなり社会性の強い曲を歌っている様で、熱狂的なファンの大合唱大会でかなり熱いライブとなりました。
ただ、この辺にいても退屈なので、中心街のライブハウスを覗いてみる事にしました。
この日は駅近くのマーケットシアターにあるkippies's BarでTshepo Tshola という人のライブがやっていました。大物ベテランらしく、大入り満員でした。Tshepo Tsholaはかなり社会性の強い曲を歌っている様で、熱狂的なファンの大合唱大会でかなり熱いライブとなりました。
ヨハネスブルグ
2011/03/01 Tue 00:16
ヨハネスブルグの中心地の地図です。
ヨハネスブルグは白人によって開発された近代都市ですが、現在は急激な人口の増加や移民の流入などで治安が悪化し、白人系住民や大資本の会社が郊外に移動したために、中心部がスラム化しています。
「世界で一番危ない都市」とも言われており、白昼歩いているだけで強盗にあってしまうという話は良く聞きましたので、私もかなり警戒して行動しました。
スワジランドのムババネを昼の12:00に出発し、午後1:00には国境に到着しました。このミニバスはムババネからヨハネスブルグまで直行する国際バスですが、車はハイエースタイプにすし詰め状態で、乗客は黒人の行商人らしき人ばかりでかなり窮屈でした。料金は70R。
南アフリカ側の国境に入ると、警備員がのぞきにきて、私だけ降ろされて別室に連行されてしまいました。
現地の低所得者が利用するミニバスに一人だけ東洋人が乗ってるを怪しんだ様です。しかし、取り調べの中で、私のハンコだらけのパスポートを見て、「こいつは好んでこの手の旅をしてるな」と理解したらしく開放してくれました。その間、バスも足止めされていた様で申し訳なく思いましたが、乗客のみなさんこの手の事には慣れてるらしく、気にしていない感じでした。ローカルな旅にも限度はあるという感じです。インドで3等列車に乗っていたら車掌に無理矢理2等に移された事がありますので、やはり限度は考えなければなりません。
16:30にヨハネスブルグの駅近くに到着しました。しかし、ここで降りてうろうろしている所をやられるという話も聞いていましたので、ミニバスの隣に座っているお兄さんに宿を探すまでつ付き合ってほしいと頼みました。お兄さんと一緒に公衆電話を捜し、ロンリープラネットに出ている宿に電話して予約しました。中心地には適当な宿はない様で、少し郊外の白人中低所得者が住むYeoville地区にあるExplorers Club Hostelに泊まる事にしました。ここは白人経営の広々とした平屋一軒家の空いている部屋を貸している感じで、台所等を自由に使って良いタイプのアフリカ南部に良くあるバックパッカーズ系の宿でした。ドミトリー40R(525円)。
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今のバス乗場付近です。南アフリカは先進国なんでしょうか、グーグルのストリートビューで町並を見る事ができます(すごい時代になりました!)。ストリートビューでこの危険だった町を架空散歩することもできます。
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私の泊まったExplorers Club HostelのあるInnes St.です。この宿のHPは無くなっていますので、現在はやっていないのかもしれません。
大きな地図で見る
演劇場、ライブハウス等のあるマーケット・シアターです。この辺がヨハネスブルグの文化の中心地でしょうか。
近くにオランダ系移民の歴史を紹介したミュージアム・アフリカがあります。
南アフリカのルート
2011/02/20 Sun 00:47
南アフリカのルートです。スワジランドからヨハネスブルグまではミニバス、ヨハネスブルグからケープタウンまでは鉄道です。
南アフリカ共和国についての歴史、気候、民族等の情報についてはウィキペディアを参照してください。
<旅行関係の情報>
※ 要最新情報参照です。
ビザについて
日本人の3ヶ月以内の観光商用目的であればビザは不要。
旅券の残存有効期間は滞在予定日数以上。
黄熱病危険区域からの入国の場合は有効な黄熱病予防接種国際証明書(イエローカード)を所有している必要あり。
通貨
単位は南アフリカランド(ZAR又はR)。日本のFX会社でも取引できる高金利通貨です。
●当時のレート
1USD=6ZAR
1ZAR=17.89JPY(1USD=107.36JPY)
●2011年2月19日のレート
1USD=7.1209ZAR
1ZAR=11.6864JPY
以下のサイトで算出しました。
通貨コンバータ
南アフリカ共和国はアフリカ大陸では最も発展した国です。
道路や建物等々のインフラ設備はアメリカやヨーロッパとほぼ同じレベルの感じを受けました。
一般的な風景は緑豊かな草原や農園が広がり、非常に美しい国です。
しかし、時々ブリキで作ったほったて小屋群が線路沿いに広がっていたりします。この辺は他のアフリカ諸国と違い、先進国的な高層ビルや豪邸等がある分、貧富の差が際立って非常に痛々しい感じがしました。アパルトヘイトの名残でしょうか。
この時分、ヨハネスブルグは世界で最も危険な町と言われていた様に、都会の中心街はスラム化して非常に悪い雰囲気になっていました。まったく行けないほどではないですが、十分注意して行動する必要があります。
危険な地域を除けば、南アフリカの旅行は移動、宿泊、食事(ワインが美味しい)等々西欧的な快適さがあるのに、物価は安いので非常にお得な旅ができるとも言えます。アフリカ的なきつい旅行を敬遠される方にもおすすめです。
絵葉書フロムアフリカ24 Mbabane Swaziland
2011/02/14 Mon 02:00
ムババーネ
2011/02/13 Sun 01:00
スワジランドの首都ムババーネの地図です。宿の位置は定かではありません。
モザンビークの首都、マプトの宿周辺地を8時にミニバスで出発し(4000MT)、その後長距離のミニバスに乗り換え(20000MT)、12:00に国境ナマーシャに到着しスワジランドに入国します。13:00にミニバスに乗り(12E)マンジーニへ、そこで乗り換え(5E)、15:00に首都ムババーネに到着します。
宿はMbabane Churcu Youth Centerで、ダブルの部屋を一人使用で30E(536円)です。ここはキリスト教関係の施設で、清潔感があり近代的な感じでした。
ムババーネは非常に小さな街で、とても首都とは思えない感じです。しかし、モザンビークよりはインフラが進んでおり、スーパーなども近代的で、より南アフリカの影響を受けている感じがします。
ここでは、観光はせずにスーパーに行って、靴の中じき等日用品を買っていました。
ムババーネだけでなく、スワジランドでは写真を1枚も撮りませんでした。
スワジランドのルート
2011/02/12 Sat 01:30
スワジランドのルートです。小さい国なので、モザンビークの首都マプトからスワジランドの首都のムババーネまでは8時間程度で到着します。
<スワジランドについて>
スワジランドは国王を元首とする君主国で、首都はムババーネ、王宮と議会は近隣のロバンバにあります。
形式的には立憲君主制ですが、実際には憲法で国王の強大な権力が保障されており、政府の要職の多くが王家によって占められ、実質は絶対君主制になっています。
国王の位はドラミニ家により世襲され、ドラミニ家は司法、立法、行政の三権を操り、軍隊の統帥権を持っています。リバンドラと呼ばれる両院制議会がありますが、政党はドラミニ家による王政を支持するインボコドボ国民運動(INM)以外は非合法となっています。実質的な野党勢力として機能している組織もありますが、常に政府による厳しい取締りを受けています。
気候風土
西部はユーカリや松などの森林地帯、東部はサバンナ、内陸部は緑の高原や渓谷があり、小さい国ながら変化に富んだ地形です。
歴史的特徴
11万年前の化石がこの地で発見されたので、太古から人が住んでいた様です。現在の主要民族であるスワジ人が王国を形成したのは19世紀初めの頃です。
19世紀初めに南部からボーア人が圧力をかけてきたので、イギリスに保護を求めましたが、イギリス・トランスバール協定により1893年ボーア人が統治することになりました。しかし、ボーア戦争後の1906年にはイギリスの保護領となります。
1968年にスワジランド王国として独立。1978年には国王が立法、行政に絶対的権力を持つ様に憲法が制定されます。その後王族内で権力闘争が起こるなどしたため、民主化を求める運動が1990年頃から活発化しました。それでも絶対王政維持、野党禁止等による圧政が続けられたために、ストも頻発し政情は安定していません。
民族言語宗教
国民の90以上がスワジ族で、アフリカ諸国の中では最も高い同種族率です。
<旅行関係の情報>
※ 要最新情報参照です。
ビザについて
60日以内の観光商用目的であれば、ビザは不要です。モザンビークとの国境はNamaacha/Lomahashaのみです。
主要なポイントは7:00~22:00、それ以外は8:00~16:00までしか開いていないので要注意です。
通貨
単位はリランゲニ→L(複数でエマランゲニ→E)で南アフリカランドと等価値。
南アランドも使用できるので、私はランドで両替していました。
●当時のレート
1USD=6E(=6R)
1L=17.89JPY(1USD=107.36JPY)
絵葉書フロムアフリカ23 Maputo Mozamique
2011/02/01 Tue 00:30
ミュージシャン XIDIMINGUANA
2011/01/30 Sun 00:01
ベイラからマプトへのバスの中で聞いたボヤキ系リンガラ?音楽を買おうと思い、ロンリープラネットに出ていたCD店に行ってみましたが、アメリカの最新ヒット曲や、アフリカ系でも超大物のものしかありませんでした。店員によると私がメモった人はローカル系という事で、違う店を紹介してもらいました。
住所を頼りに訪ねていったCD屋は地味なビルの2階にあり、そこの店員に名前のメモを見せると、「そこにいる!」と言われ、なんとも歌っている本人がいました。このCD(カセット)屋はレコーディングスタジオに隣接しており、録音→制作→販売を1カ所で行う日本ではありえないシステムの様です。
東洋人が自分のCDを買いに来てかなりびっくりしたのではないかと思いますが、ブッシュマン似の人で、ニコニコして感じのいい人でした。最新盤ができたばかりなので、それを買って行けという事で、それを購入し、XIDIMINGUANAさんをはじめかかわったミュージシャン全員のサインを頂きました。
XIDIMINGUANAさんです。
買ったCDです。XIDIMINGUANA自体アマゾンでは売っていないので、廃盤なのか販売ルートに乗せていない様です。
みなさんのサインです。
YOU TUBEには映像がありました。私が買ったのよりダンサブルです。
歌はラップと歌の中間で、ゆるい感じの味勝負という感じでしょうか。
メッセージが重要なのかもしれません。音に関してはギター主体のリンガラの様な感じで、目新しい電子音も節操なく取込んでしまうところが、これまたB級の味という感じでしょうか。
XIDIMINGUANAさんはポルトガル語ではなく、シャンガニー(Shangani)語?で歌っているそうですが、シャンガニーというのはたぶんシャンガーン人(Shangaan)のことではないかと思います。シャンガーン人はマプト州、ガザ州、南アフリカのリンポポ州に居住する民族集団です。南アフリカではツォンガ人と呼ばれています。
住所を頼りに訪ねていったCD屋は地味なビルの2階にあり、そこの店員に名前のメモを見せると、「そこにいる!」と言われ、なんとも歌っている本人がいました。このCD(カセット)屋はレコーディングスタジオに隣接しており、録音→制作→販売を1カ所で行う日本ではありえないシステムの様です。
東洋人が自分のCDを買いに来てかなりびっくりしたのではないかと思いますが、ブッシュマン似の人で、ニコニコして感じのいい人でした。最新盤ができたばかりなので、それを買って行けという事で、それを購入し、XIDIMINGUANAさんをはじめかかわったミュージシャン全員のサインを頂きました。
XIDIMINGUANAさんです。
買ったCDです。XIDIMINGUANA自体アマゾンでは売っていないので、廃盤なのか販売ルートに乗せていない様です。
みなさんのサインです。
YOU TUBEには映像がありました。私が買ったのよりダンサブルです。
歌はラップと歌の中間で、ゆるい感じの味勝負という感じでしょうか。
メッセージが重要なのかもしれません。音に関してはギター主体のリンガラの様な感じで、目新しい電子音も節操なく取込んでしまうところが、これまたB級の味という感じでしょうか。
XIDIMINGUANAさんはポルトガル語ではなく、シャンガニー(Shangani)語?で歌っているそうですが、シャンガニーというのはたぶんシャンガーン人(Shangaan)のことではないかと思います。シャンガーン人はマプト州、ガザ州、南アフリカのリンポポ州に居住する民族集団です。南アフリカではツォンガ人と呼ばれています。
マプト
2011/01/28 Fri 01:00
マプトの地図です。
マプト(Maputo)はモザンビークの首都で、モザンビークの中では最も近代化している都市です。植民地時代のポルトガル風建物が残っており、ゆるやかな坂道もあって風情のある街です。
1544年にポルトガルの貿易商人ロレンソ・マルケスがこの町を探険したので、18世紀に創建される時にこの名前が町名となりました。1895年に南アフリカのプレトリアと結ぶ鉄道が開通したために人口が増加し都市化しました。スエズ運河の開通によって、それまでの首都モザンビーク島が衰退に向かったために、1898年にこの地に首都が移転されました。独立後に都市名はマプトに改称されました。
マプトはポルトガル人により都市計画されているので、道幅は広く、街路は直交しています。しかし、独立時にポルトガル人に放棄されてしまったため、地方から来た住民によって占拠され、近代的な都市生活への不満から占拠した家が破壊されました。のちに共産主義政権の失政、内戦によって破壊はさらにひどくなりました。私が訪ねた時には、廃虚化した20世紀前後のアール・ヌーヴォー、アールデコ調の建築物を多数見かけました。2004年頃から復興が始まり、古い建物を取り壊して新しい建物を建てている様です。
マプトの宿はFatima'sでドミトリーが80000MT(635円)です。
マプトは大都会ですが、かなり荒廃していました。1964年の独立戦争から1992年の内戦終結まで近代的な建築物が建てられなかった様です。良く言えば古い建物が好きな人や、廃虚系の好きな人には興味深い都市です。
駅はパリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェル(Gustav Eiffel)が1910年にデザインしています。
街をぶらぶら散歩していると珍しいデザインの建築物を見る事ができてなかなか楽しいです(現在もあるかどうかは不明)。
廃虚化した昔のポルトガル人の住居らしき家が数多くあります。
飲み屋です。円形を利用した建物を良く見かけます。
アールデコ調の美しい建物です。
エンブレム付きです。
アールデコ時代の書体です。廃虚化している様です。
赤の塗り分けが印象的な映画館です。
ガラス窓など凝ったデザインなのですが、壊れたままになっています。
自動研削盤(研磨機?)があった跡地の様です。
廃虚化し、不法占拠されている様です。壊れた窓は修理されていません。
看板としての役割は終わっている様です。
古い建物は駅の近辺にありますが、この辺は下町で浮浪者も多く治安的には良くない様です。このまま色々な建物を撮影しながら、エッフェルのデザインした駅に行こうと思ったのですが、途中で警察に捕まってしまいました。
廃虚化した建物を撮影している東洋人というのも、どう考えても怪しいです。
建物、特に駅は軍事関係上撮影禁止になっている国は多いので、そういう国では注意しなければなりません。スーダンではあらかじめ許可証を取って撮っていたのですが、モザンビークは内戦終結で安全になったかと油断していました。
連行という事になったのですが、話合いの末、罰金20000MTで話を収めるということになりました(警官の小遣いになった様)。
旅は緊張→油断→やられ→緊張の繰り返しの様です。
ベイラ→マプト
2011/01/26 Wed 03:14
ベイラからマプトのルートです。距離は800km位です。
キャンプ場からミニバスで町中の長距離バス乗場まで行き(2000MT)、14:00発のインタープロビンシャル社のマプト行きバスに乗ります。首都と第二の都会をつなぐだけあって、今までとは比較にならない立派なバスでした。料金は280000MT(US$20でも可)。この辺の道路は舗装してあるので、乗り心地は問題ありません。しかし、パキスタンのバスもそうでしたが、ドライバーの眠気防止のために夜通し爆音で音楽をかけるので、ほとんど眠れません。深夜に文句を言ってみようかとも思いましたが、他の乗客は誰一人気にしていない感じなのでやめときました。かかってる音楽は陽気なリンガラ系で、どれも同じに聞こえるのですが、その中でゆる~い感じのオヤジのダミ声の音楽が気に入ったので、ドライバーにカセットを借りてメモらせてもらいました。XIDIMINGUANAというどう発音していいのかわからない名前(バンド名?)でした(この件は後でサプライズあり)。バスはめずらしく何の問題もなく9:00にマプトに到着しました。乗車時間は19時間でした。
絵葉書フロムアフリカ22 Beira Mozamique
2011/01/24 Mon 15:57
ベイラ
2011/01/22 Sat 23:30
ベイラの地図です。
ベイラでは、東側のマクティ・ビーチMacuti(Makuti)BeachにあるBiquesというキャンプ場でテントを張る事にしました。
キャンプ場使用代は60000MT(477円)です。ベイラは今までのモザンビークの町と比べると相当な大都会ですが、ここのキャンプ場は人気の少ないきれいな砂浜にあり、夜は波の音を聞きながら寝る感じでちょっとしたリゾート気分です。キャンプ場を利用しているのは私以外は西欧人旅行者でしたので、夜に強盗に襲われるという感じもなかったです。
スーパーやマーケットで食材を買って来て自炊し、夜はビーチで他のテントの人たちと飲んでいました。モザンビーク第二の大都会(国際空港、国際港、国際列車駅があります)でビーチを満喫という妙な事になってしまいました。
ベイラではキャンプ地でだらだらとしていて、観光はしていませんでしたが、なんとなく知り合ったモザンビーク人が近場を案内してくれました。また、簡単なポルトガル語を習ったりもしました。
この人は乗ってたトラックが地雷を踏んで大けがをしており、お腹に痛々しい傷跡がありました。観光よりそちらの方が印象に残っています。
ベイラでの唯一の写真は案内してくれたDino Joãoさんの写真です。